「分析に対する幻想」を理解しよう!

「分析に対する幻想」を理解しよう!

事実ではなく、自分の想像力のみに基づくことを本当のことだと思い込むことを、私は幻想と定義している。

「分析に対する幻想」は、適切な分析をすれば、ほかのトレーダーたちの売買注文が値動き方向に及ぼす影響度を正確に予測して、損失リスクを実際に取り除いて確実に勝てる、という信念から生じる。

言い換えると、「分析に対する幻想」を抱きながらトレードをしているときは、あたかもギャンブルの要素を取り除いて、値動きに賭けられるかのように思える。だが、これほど真実からかけ離れていることはなく、そんなことを信じていると、最終的には非常に高い代償を払うはめになる。

「分析に対する幻想」はトレードにおける誤りを引き起こす主要な心理のひとつである。この心理が働いていると、儲けては損をするの繰り返しから抜け出せずに、破滅的な損失を被りやすくなり、分析の堂々巡りに陥る原因にもなる。この幻想に基づく行動はトレードにおいて何よりも役に立たず、危険をもたらしかねないものだ。

「分析に対する幻想」がどういう働きをするかを説明する。また、確実に勝てるどころか、間違いなく損益の変動が激しく激しくなり、いら立ちが止まらなくなる考え方に陥りやすいだけでなく、その考え方を非常に魅力的に感じる理由も説明するつもりだ。どんなに合理的な分析に基づいて予測をしても、損失のリスクを取り除いて確実に勝つことは百パーセント不可能だ。

値動きの方向に賭けるトレーダーが判断を誤って損をするリスクは、仕掛けたあとにほかのトレーダーが自分のポジションに逆行する売買注文を入れる「予定の」数で決まる。勝つか負けるかの決め手となるのは次に挙げる注文の流れの変数だが、これらを予測の際に考慮することができるチャートパターンも数式も分析の前提も存在しない。

●世界中のトレーダーのどれだけが取引所に注文を出そうとしているのか。

●それらのトレーダーはだれなのか。

●彼らが出そうとしているのは買い注文なのか、売り注文なのか。

●それらの売買注文数はどれだけあるか。

●彼らが仕掛けか手仕舞いをすると決めた理由は何なのか。

●取引所に入ってくる予定のすべての売買注文が値動きの方向にどの程度の影響を及ぼすか。

合理的な分析に基づいていても、予測をして仕掛けたあとに自分のポジションに逆行する値動きを強める可能性もある世界中のトレーダーの意図を事前に知ることはできない。そのため、損失のリスクを取り除くことも、トレードで確実に勝つことも不可能である。

しかし、不可能でないこともある。誤った推論や役に立たない信念に基づいて、適切な分析をすれば確実に勝てるのでリスクはない「かのように」思い込み、それに従って動くことだ。トレードの世界では無リスクや低リスクの状況は現実にはあり得ないのに、そんな状況があると思い込むことほど害を及ぼしかねないことはない。

ところで、すべてのトレーダーが負けることもあると分かっていれば、負けることはないと思うのはバカげているだろう。私の答えはこうだ。私たちは確かに負けることもあると思っている。だが、損をするリスクは明らかにあり、仕掛けるどのトレードでもその点に例外はない、とだれもが思っているわけではない。

ほとんどのトレーダーは例外もあると思っている。また、自分の分析ではその例外を見つけられるし、仕掛けようと決めたトレードは分析によって勝つか少なくとも負けないことが分かったものだ、と思っている。損をするリスクなしにトレードができる、と思っているかどうかを簡単に知る方法がある。損失のリスクは常にあると思っているトレーダーは、必ず最初に許容できるリスクを決めてから仕掛ける。だから、彼らは自分のトレードがうまくいっていないと気づいても、けっして驚かない。

覚えておいてほしいが、「リスク」の定義は、価格がポジションに逆行して、自分のエッジ(優位性)の基準に照らして、そのトレードで利益を得る機会はもはやない、とみなす金額のことだ。だから、許容できるリスクを事前に決めないという発想は、リスクは常にあると思っている人にはよぎりさえしない。また、損が確定しないようにと、損切りの逆指値を外すか、仕掛け値から絶えず遠ざけようという考えも浮かびさえしない。

第5章の初めに妻のポーラが取り上げたジェイの場合は彼なりのわけがあったが、彼と同様に、無リスクでのトレードが可能だと思っている人は、相場がどこまで逆行したらトレードがうまくいっていないと判断するかを、仕掛ける前に決めておくのを嫌がる。何とか許容できるリスクを決めて、損切りの逆指値を置いた場合ですら、それは手順のひとつとして行っているだけで、本当に逆指値に引っかかるとは思っていない。

そのため、価格が逆指値に近づいてきたら、彼らはそれを遠くに置き直すか、外してしまう。損切りの逆指値を動かすか外すのは、分析をすればギャンブルの要素を取り除いて値動きに賭けられる、と思っている人にとって矛盾しない行動だ。思い出そう。

着実な成果を上げるためには、損切りは早く、利は伸ばすことだ。分析によって損失のリスクをなくせるという考えを持っている人は、自分の分析は適切だ、あるいは自分は正しいと思って仕掛けている。いったん自分の分析が適切だと思ったら、損切りを決断するのは苦痛が増大したときだけになる。苦痛は早めに損切りをする効率的な方法とは言えない。苦痛は私たちが当然、避けようとするものであり、苦痛を避けようとするときには損切りも避けるからだ。

これから、知識不足あるいは経験不足のトレーダーの典型を私が演じて、分析によって実際にはあり得ないこと――損失のリスクをなくして確実に勝つこと――ができるかのように思える考えにどうやって陥るかを示すつもりだ。しかし、その前に、はっきりと頭に入れて覚えておくべきポイントがいくつかある。一つ目トレーダーたちが仕掛けや手仕舞いをしようと決める際の理由が、すべての値動きを引き起こす力である。

これらの理由は通常、テクニカルかファンダメンタルズ、あるいはニュースに基づいているが、たまたま頭に浮かんだ考えに基づくことでも理由になり得る。それぞれの理由が単純であれ複雑であれ、ヘッジ目的か契約にかかわる理由か利益追求かにかかわらず、それらの理由はすべてが買い注文か売り注文に集約される。

それらの注文が取引所に送られると、世界のどこかにいる別のトレーダーが出した反対側の注文とマッチングがなされて取引が成立するときに、注文を出した理由は消えてしまう。マッチングの過程では、どの瞬間にでも買い注文数と売り注文数の比率に応じて、価格は一ティック上か下に動く。だから、値動きを見ているときに実際に見えているのは「価格が動いた理由」、もっと正確には「価格が動いた見えざる理由」だ。値動きを引き起こしている具体的な理由は確たる証拠付きでは入手できないため、一般トレーダーには事実上「知り得ない」からだ。

二つ目分析が正しいというとき、明らかに区別できる二つの観点がある。一つ目は、「何が」起きるかについて、分析が正しい場合だ。つまり、分析によって、値動きの方向が正しく予測できる場合だ。二つ目は、それが起きる「理由」について、分析が正しい場合だ。つまり、自分の予測の基となった分析の前提や理由と、予測した方向への値動きを強める注文をほかのトレーダーが出そうと決める理由との相関が非常に高い場合だ。三つ目いつの間にか勝っているためには、分析から得られる予測が「常に」正しくなければならない。

一方、値動き方向を正しく予測するために、分析が正しい必要は「けっして」ない。つまり、勝ったときの予測のすべてが注文の流れと「予定どおりか偶然に一致」した結果ということもあり得る。その場合には、ほかのトレーダーたちが自分のトレードと同じ方向に価格を動かす注文を出した理由と自分の分析には何の相関性もない。

四つ目勝ったら、「何が」起きるかの分析が正しかったと確認できるだけだ。勝っても、勝った「理由」の分析が正しかったかどうかは確かめようがない。自分のトレード方向に価格が動いた理由を正しく分析していたかどうかを知るためには、自分が仕掛けたあとにだれが注文を出したのかや、それらの注文が買いだったのか売りだったのか、注文数、そして最も重要なのは彼らがそういう注文を出した理由を見つける必要がある。

だが、これらの情報のどれも入手する方法はない。五つ目価格が自分のトレード方向に動いた理由とは無関係の分析によっても勝つことが可能である一方、自分の分析がどの程度正しい(相関している)のかを確かめる情報に接することができないのであれば、勝っているときにその本当の理由は分からない、というのが私たちの置かれている現実だ。単純な思い込みがあるだけで、トレードを本格的に始めてもいないうちに、トレーダーとしての経歴にいかに大きな傷がつくか私が知識不足の典型的なトレード初心者で、自分では本物の分析法と信じているもので分析をしているとしよう。私は値動き方向についての予測を思いつく。

そして、注文を出すと勝った。勝った結果、私が確実に分かることは、「何」が起きるかについての自分の分析が正しかったことだ。これを証明するには、分析で予測した方向に価格が動いたという証拠さえあればよいからだ。

一方、予測した方向に価格が動いた理由についても正しかったという証拠は何もない。価格が分析で予測した方向に動いたのは、さまざまな市場参加者が注文を出したときのさまざまな理由が、私の仕掛けた理由と相関性があったためかもしれないし、なかったためかもしれない。それらの市場参加者がどういう人かということや彼らの理由について知ることはできない。だから、私が「なぜ」勝ったのかを証明する方法もない。

勝ったのは、分析が実際に正しかった(相関性が非常に高かった)からかもしれない。あるいは、完全に間違っていた(相関性がゼロだった)が、私の予測と注文の流れが偶然に一致したためにとにかく勝ったのかもしれない。いずれにせよ、言えることはこうだ。「値動きの方向を予測して勝ったとしても、その分析が間違っている場合もあれば、その分析が正しい場合もある。

しかし、そのどちらだったかは、永久に分からない」どちらだったか分からないところから、私は窮地に陥り始める。私は注文の流れを生み出す力という観点から値動きの性質を十分に理解してはいない。そのため、勝っても、私が予測をした理由が正確だったかどうかを知る手立てがない、ということを理解できないとしよう。

すると、私は分析によって値動きの方向を正しく予測していたのだから、そういう値動きをした理由も正しく予測できていたはずだと当然に思う。予測が正しかった以上、予測をした理由も正しかったはずだ、と思うのだ。この思い込みはまったく筋が通っている。私は相場が特定の動きをすると考えるべき具体的な理由を示してくれる、本物の分析手法を使って正しい分析をしたと思っているからだ。価格が自分のトレード方向に動く理由を、私が正しく分析していた可能性はもちろんある。

しかし、それが正しかったという考えは証明できる事実に基づいていない。私が値動き方向の予測を立てたときの理由(チャートパターンや方程式など)は事実ではない。なぜなら、そうした情報は値動きをもたらす実際の力を捨象したものだからだ。それらの力(ほかのトレーダーが注文を出した理由)は見えないし、私にはそれらを具体的な事実として証明できる方法もない。

パソコン画面に向かう典型的なトレーダーである私が、価格の上げ下げを説明するために利用できるのは、二つの証明可能な事実だけだ。一つ目は、価格が上がったのは、売り注文数を超える買い注文数が取引所に入ったからだ。二つ目は、価格が下がったのは、買い注文数を超える売り注文数が取引所に入ったからだ。それだけだ。私が見聞きするほかのことはどれもひとつの相場観か、推測か現在のデータの単なる延長か、単に多くの分析用語を使って状況の本当の姿だと受け取られるように説明した憶測だ。

多くの人にとって、これは受け入れがたいかもしれない。なぜなら、これはあなたが接している金融業界の専門家が、あなたと同様に値動きの理由を知らないことを意味するからだ。だが、そのとおりなのだ!だれかが注文の流れについてのインサイダー情報に接してそれを公表するか、自ら価格を動かさないかぎり、そのほかの人々はみんな、いかに分かりやすく、雄弁で、自信がありそうな説明をしても、値動きの本当の理由は分かっていない。

彼らが話すときにあなたが聞いているのは、彼らの経験か思惑に基づいて「こじつけられた」ことだ。彼らが「こじつけた」理由が本当に正しいときもある。ただし、それが実際に正しいとしても、「彼らはそれを事実として知っているわけではない」。

私が一九八〇年代初期に一般投資家向けのブローカーとしてメリルリンチ・コモディティーズで働いていたとき、私たちはいわゆる「その日の理由」を「こじつけ」ていたものだ。会社の顧客は当然ながら、特定の日に価格が上昇や下落をした理由を知りたがった。売り注文よりも買い注文のほうが取引所に多く入っているか、その逆という以外には、「率直に言って、私たちにも実はなぜか分かりません」という説明を彼らが聞きたがらないのは明らかだった。

それで、顧客の「知識欲」を満たすために、私たちはロイターかメリルリンチ・ニューズ・ワイアーを調べて、前夜か早朝の出来事からひとつを取り上げて、値動きの理由を論理的に説明しているように聞こえるニュースの文脈に沿って、理由を「こじつけ」ていた。実際には、直接に接していたメリルリンチの顧客を除けば、ほとんどの場合、トレーダーたちが売買注文を出す理由は私たちにはまったく分からなかった。

私の知るかぎり、顧客のだれ一人として、私たちが「こじつけた」理由に疑問を呈したことはなかった。私が今、話したことが受け入れがたく、当時と今では状況が違うと思っているとしても、ここで私が主張したことが真実だということを自ら証明するのは実に簡単だ。値動きの理由を知っているか、値動き方向についての自分の予測が正しい理由を知っていると主張する人に出会ったときはいつでも、彼らにそれを証明するように頼みさえすればよいのだ。

売り注文数よりも多くの買い注文数が取引所に入ってきたか、その逆のことが起きた本当の理由をどうやって知ったのかを証明できる情報を出してほしいと頼めばよい。間違いなく、あなたは何も得られないはずだ。事実を証明できるものを入手する方法はないからだ。ほかのトレーダーたちが売買注文の比率を一方に片寄らせる注文を出すに至った理由すべてを毎回、入手できる人はだれもいない。私が新人トレーダーだとする。

そのときに、注文の流れから見たトレードの性質に関する真実を知らなければ、勝ったからといって仕掛ける前に行った分析が正しかったとは言えない、と理解することはないだろう。自分のトレード方向に価格が動いた本当の理由は私には入手できないので、知りようがない。それに、最も重要なのは、それらの理由はそもそも私が自分の分析で仕掛ける気になった理由とはまったく無関係だったかもしれない。

しかし、そうした洞察には至っていないために、利食いをしたばかりのトレードを振り返った私は、トレードにおいて最も危険で結局は行き詰まる見方に落ち着き、知らぬ間に自分の分析で次に何が起きるかがはっきり分かると思い込み、損を避けて確実に勝つことは可能だと思うようになるだろう。私は本物の分析法に従い、「何」が起きるかを正確に予測したにもかかわらず、それが起きた理由をほとんど何も知らない。それが私の置かれた状況だ。

それでも、予測をして勝てば、予測の基になる分析の理由が正確だったことが確かめられるという誤った思い込みを持っているかぎり、私は自分の分析によって損失のリスクを実際に取り除いたという証拠を簡単に集められる。つまり、勝ったあとにトレードを振り返って、私は思うようになる。相場は私が分析で予測したとおりに動いた。そして、私が分析をして予測したときと同じ理由で相場も動いた、と。

つまり、何が起きるかを正しく分析できたのは、それが起きる理由を正しく分析できていたからだ、と考えるのだ。そして、そのときには気づいていないが、分析を終えたとき、相場がこれからどう動き、どうしてそう動くのかを実は事前に分かっていると思うようになる。さらに、実際にトレードを始める前に何が起きるかを分かっているのなら、注文を出す前ですら、分析をすれば確実に勝てるという結論を下すようになる。

その結果、私はその経験から、「正しく分析をすれば」、相場が実際に動く前にどう動くか「はっきり分かる」と思うようになる。そして、事前に相場の動きが「はっきり分かる」のなら、損をする可能性はなくなる。この理屈の問題点は、本当でない思い込みに基づくところだ。何かが本当であるためには、それが本当だと議論の余地なく証明できる事実がなくてはならない。私が分析で予測したとおりに相場が動いた理由について、私の分析が正しかった「可能性」はもちろんある。

だが、理由について私の分析が正しかったことを「私が知る」ことは不可能だ。したがって、私がそれを知っているというのは「本当ではない」。私が予測をしたときの理由が私のトレード方向に価格が動いた理由を正確に表していることを証明できる事実は何もないのだ。私は自分の分析が正しいと思い込んでいるので、自分が勝った理由を決定的な事実として知っているように思うだけだ。

そして、分析をして予測したとおりに価格が動いたので、自分の分析も正しいと思い込んだのだ。しかし、すでに学んだように、予測どおりに動いたからといって、予測に使った分析が正確だった証拠にはならない。私の分析がどの程度に正確だったかは測ることができない。実は、何が起きたかを考えていたときに、私にどう見えていても、自分の分析が正しかったかどうかを知る方法はなかった。だから、仕掛ける前に勝つ理由を「私が知っている」という考えが正しいはずはない。

そして、この理由を証明する方法がなかった以上、分析をしても私は何も保証されなかった。だから、たとえ予測が正しかったと分かったとしても、分析によってリスクがまったく存在しないかのように取り除かれることはなかった。初心者か経験の浅いトレーダーとしての私はまだ学んでいないのだが、どんな形の相場分析をしても、仕掛けたあとにほかのトレーダーからもたらされるリスクを取り除くことはできない。

どれほど取り除けるように見えてもだ。合理的な分析で、私の予測と逆方向の注文を出す予定のトレーダー数や、彼らの注文数、それらが値動きの方向にどの程度の影響を及ぼすかを調べる方法はとにかくない。個々のどのトレードでも、私が勝つか負けるかは常に分からず、知り得ない変数である。ここまでの時点で、私はまだ次のことが分かっていない。損をする可能性は常にあり、それがなくなることはけっしてないし、その点に例外はない。

したがって、私がこれとは逆の何を信じようとも、それは幻想である。つまり、私が本当だと考えていることは、証明可能な事実に基づいているわけでも、現実に裏打ちされているわけでもなく、単に私がそう信じているだけのことだ。無秩序な売買注文の流れに付きものの、相場分析と「常に未知で知り得ないリスク」とのこの関係をはっきりと理解していないとする。

すると、分析をすれば、仕掛ける前に相場の動きを決定的な事実として「知る」ことは可能だと思った途端に、損を出さずに値動きに賭けることができるという考えを抱かずにいられるだろうか。いや、いられない!実際、私はその考えを止められたくない。損をしないで済むように価格がどう動くかを「知り」、確実に勝つことは可能だという考えはとても強力で魅力的だ。私はこの考えにわくわくして、大喜びでトレードでの成功法の核となる考え(行動原則)として認めて、採用するだろう。私がどうやってそういう考え方に至ろうと関係ない。

私の成功は、どういう値動きをするかを知って、損をせずに確実に勝てるように分析を使うかどうかで決まる、と思ったとたんに、私は最終的に失敗する道を知らぬ間に選んでいる。トレードでの成功が不可解なほど難しく見えるのはなぜかと思ったことがあれば、私が今、言ったことの意味についてちょっと考えてほしい。最終的に私はこう言っているのだ。私は成功すると確信したのとまったく同じ理由のために、トレードで失敗することになる。

その場合、私がトレードで生活費を稼ぐのをあきらめてトレードから完全に足を洗うか、学んだことを利用する方法を見つけてプロのアナリストアナリストかシステム開発者などになるかは、時間(多くの場合、何年もかかることもある)とお金とどれだけ苦痛に耐えられるかの問題にすぎない。